


朝鮮14代王の宣祖の後宮である恭嬪金氏の墓。恭嬪金氏は金希哲の娘で、才色に抜きん出ていたことから宣祖の寵愛を受けた。臨海君と15代君王の光海君の母で、光海君が3歳のときに病に倒れ死亡した。光海君が王位に就いてからは恭嬪金氏の陵は成陵と呼ばれていたが、仁祖反正により王位を奪われてからは再び成墓と呼ばれるようになった。墓は小さな稜線に安置されており、繊細かつ美しいつくりとなっている。塀の中に西向きに設けられた封墳には、あわせて8つの莎臺石が置かれ、その周囲には12個の柱から成り立つ欄干石が設置されている。特にこの欄干石は、その中間に模様が彫刻されており、周囲に華やかさを放っている。
封墳周囲の両脇には護石と羊石がそれぞれ二つづつ置かれ、その前には巨大な床石が設置されている。また左右の望柱石は、八角の敷台に二つの層が形成されている。床石の前には長臺石が層を成して置かれており、一段目の長臺石の下には文人石、馬石、長明燈が、さらに二段目の長臺石の下には文人石と馬石が置かれている。
所在地: 真乾邑 松陸里 山 55番地