


思陵は朝鮮第6代王である端宗の碑であり、定順王后宋氏の陵。史跡第209号に指定されており、南楊州市の真乾面思陵里に所在する。定順王后(1440ー1521)は、朝鮮500年の歴史に登場する数多い王后や後宮のうち、最も強い恨を持っていた女性として知られている。礼儀正しくつつましい女性であったといわれ、1454年(端宗2年)、15歳のときに王妃となった。しかし翌年、首陽大君が王位を争奪してからは、端宗は上王に、定順王后は懿德王大妃に命じられた。
その後の1458年(世祖3年)、死六臣による端宗復位事件が起こったが、世祖はこれを問題視し、端宗を魯山君の位に下げ寧越に流罪にした。
定順王后も夫人に位が下げられ宮から追放された。端宗の死後、ひとりになった王后は、東大門の外の崇仁洞にある東望峰に朝晩登り、端宗が眠る荘陵を見下ろして痛哭したといわれ、また、世祖の助けを借りずに紫朱水を乾かす染色法を使い、隠れて余生を送ったと言われている。1521年(中宗16年)に82歳で崩御した際、中宗が大君夫人の霊として葬儀を行ったが、跡継ぎがいなかったため、端宗の姉である敬惠公主が嫁入り先である鄭氏の墓域に埋葬した。その177年後の1698年(肅宗24年)、端宗が復位した際に定順王后もその位を取り戻し、宗廟に神位が移され、陵号も思陵と定められた。
大君夫人の霊として葬られた後に王后の陵に移されたため、思陵は他の陵に比べてこじんまりとしている。陵の周囲は松林に囲まれており、全体的にもの静かで端正な雰囲気を醸し出す名所として知られている。思陵は、現在一般に公開されていない。
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