


朝鮮開国功臣ナムジェ(南在/1351-1419)の墓。
号は龜亭、本貫は宜寧。検校侍中の乙蕃の息子で、諡号は忠景。1371年(恭愍王20年)に進士試に合格し官職に就いた。イ・ソンゲ(李成桂)が威化島で回軍したとき、雅友である殷と共にイ・ソンゲを助けた。その功績により回軍功臣に昇進し、鐵原府使に命じられた。朝鮮が開国するなり開国功臣1等に昇進し、1396年(太祖5年)には都兵馬使となり、大馬島の征伐に参加して再び功績を上げた。靖安君芳遠が王位に就く際にも大きな功績を上げた。以降、慶尚道観察使、大司憲、右議政、監春秋館事、左議政、領議政などのさまざまな官職を歴任した。
1419年(世祖1年)12月14日に世を去った。闊達な性格で度量が大きく、文章に長けていた。算術にも精通していたため「南算」とも呼ばれた。朝鮮太祖の墓にも位牌が奉られており、著書には「龜亭遺藁」がある。墓は別内面の花蝶里にあるジュウル谷にあり、東南を向いている。本来は丸い墓だったが現在は長方形。左右には護石が置かれている。墓の前には新しく作られた墓表が立てられており、その前には魂遊石、長壺石、床石、香炉石が置かれ、さらに新たに望柱石と長明燈が加えられた。
墓の左側には元来の墓表が置かれている。また後方には墓葛があったのだが、古くなったため、1898年3月に15代孫の郡守繼美と16代孫の郡守ギウォンが石をそぎ、新たに立てたという碑文が残っている。
神道碑は1892年(高宗29年)に建立されたもので、近くの祠堂である忠敬祠の前に東南向きに立てられている。碑閣が中に安置されており、10代孫の領議政ナム・クマン(南九萬)が立てた碑文に15代孫の領議政ナム・コンチョル(南公轍)が文を書き、同じく15代孫の議政府左参賛ナム・イイク(南履翼)が祭祀を行った。
所在地: 別内面 花蝶里 282-7