


ハン・ケスン(韓継純)の墓域と墓葛
ハン・ケスン(韓継純/1431-1486)は朝鮮初期の文臣であり、字は睡翁、諡号は襄平である。開国功臣の尚更の孫で、咸鏡道観察使の恵の息子である。成達生の娘を母に持つ。睿宗の時代に南怡(1441-1486)の獄舎を統治した功績により、輸忠保社炳幾定難翊戴功臣1等に昇進し、清平君に命じられた。
夫人である安洞權氏と共に南向きの墓に埋葬されている。墓の前には、1486年(成宗17年)にの頭に蓮花紋を掘った高麗様式の墓表がある。その前に床石と長明燈が置かれており、左右には文人石が立てら
れている。夫人の安洞權氏の墓表は1485年に立てられたが、その大きさは上記の夫ケスンのものと同じくらいである。墓葛は墓域下の入り口にあり、碑身と蓮花紋の蓋石型で、つまみの形をした螭首が一緒に掘られている。文字はかなり磨耗されており、碑文は参判金庾により立てられた。
所在地: 榛接邑 金谷里 125