


興国寺は南楊州市の別内面徳松里の水落山の下に位置する奉先寺の末寺。599年(真平王21年)に園光法師が創建し、始めは水落寺と呼ばれていたといわれている。朝鮮時代にも高僧や多くの学者たちがここに眠るなど、高い名声を誇っていたが、1568年(宣祖1年)に宣祖が父の徳興大王君の願堂をここに建立したためにその名を興徳寺と改名され、これを契機に寺が大幅に拡張された。
1626年(仁祖4年)には再び興国寺と呼ばれるようになったと言われている。近世和尚たちの本拠地として知られる興国寺は、西の金剛山楡岾寺といった寺院に並ぶ画家の養成所としても有名である。特に朝鮮末期には和尚たちに絵を教え、傑出した画家和尚を数多く輩出した。彼らは全国各地に赴き、自身の技量をさらに発展させていった。興国寺の大雄宝殿(京畿道文化財資料第56号)は1822年(純祖22年)に増築された八作屋根づくりの多包式建造物で、中には多くの仏画や仏像画が奉安されている。
大雄宝殿の右側にある霊山殿は多包式建物である。ここに奉安されている16羅漢像は、サイズこそ比較的小さいが、その形態と技法は非常にすぐれており、朝鮮後期に造成された羅漢像の中でも優秀な作品として知られている。一方、仏画はすべて1892年(高宗29年)に奉安されたもので、霊山殿の外の柱には興宣大王君が使った柱聯が架けられている。また、「興国寺」及び「霊山殿」の懸け板も興宣大王君本人が書いたものだと言われている。
興国寺へのお問い合わせ: 031-554-9557